滝と殺人事件

滝の傍には死体が横たわっているように思えてしかたがない。

滝と言っても、ナイアガラの滝やベネズエラのエンジェルフォールのような壮大な滝ではなく、木々に囲まれた日本の陰湿な滝だ。どうしてそう感じるのか記憶を辿ってみると、写真家 藤原新也のエッセイ『東京漂流』にある「アメリカ淵紅葉散歩・バスガール情痴殺人死体遺棄現場」の影響なのかと思う。1981年に秋川渓谷のアメリカ淵」の岩の隙間に全裸の女性の死体が発見され、その写真を撮影したただ一人の報道カメラマンの話だ。

他に思いつくのは、マルセル・デュシャン 《1. 水の落下、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ》 。小さな覗き穴から垣間見ることしかできないこの作品の中の、全裸で横たわる女性はランプを持っているので、死体とは言えないが、その皮膚は羊の皮で作られていて、物質として死体(死骸)の一部ではある。遠景には滝が流れている。この遠景はスペイン、フィゲラス近郊の滝をモチーフにしているそうで、Salt de la Caula(飛び降りる場所)という滝だと思われる。

二つに共通点があるとしたら、《1. 水の落下、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ》 は小さな覗き穴からしか見ることができないし、「アメリカ淵人死体遺棄現場」の写真も、500㎜レンズの付いたカメラのファインダーから覗かないと実際に見ることはできなかった。

ファインダーを覗いて滝の写真を撮ったからと言って、岩のくぼみや藪の間に死体が写っている可能性は限りなくゼロに近い。それでもそこに死体の気配を感じてしまうのは、ミケランジェロ・アントニオーニの1970年の映画「欲望 – BLOW UP」を観たからだろう。主人公は売れっ子のファッション写真家だが、その頃、駆け出しだったジェーン・バーキンなど、ほとんど相手にせず、社会的な写真を撮ろうとしている。何気なくカメラを持って立ち寄った、特徴のない普通の公園にいた年の差カップルの写真を撮影したことから、事件に巻き込まれる。ニコンの50㎜で撮影した公園の藪の中に死体を疑わせるものが写っていたのだ。白黒のフィルム写真は解像度も低く、いくら引き伸ばし(BLOW UP)ても、その影が倒れて死んでいる人間なのかどうかはっきりしない。手がかりを失った写真家は、ヒッピーたちがテニスのパントマイムをしているその透明な球を目で追いかけることしか出来なくなる。

岩陰や藪の中に死体が隠されているかもしれないというイメージを持つと、どんな影でもそこには隠されているものがあるかもしれないと感じてしまうのだろう。そんなこんなで、滝の写真を撮ろうとファインダーを覗いたとき、その画角のどこかに死体が横たわっているように思えてしかたないのだ。