呪われた部分

企業の内部留保が増大しているらしい。エネルギー(=富)の循環が止まっているのだ。エネルギー(=富)を閉じ込めると、エントロピーが増大して熱的死の状態に進んでゆく。そして戦争が始まる。

エネルギーは生産力の中に無制限に蓄えられるわけにはゆかない。最後には、河が海に没するように。それはわれわれから逃れ、われわれにとって失われるのである。

G・バタイユ『呪われた部分』

バタイユの反戦の経済学『呪われた部分』の「過剰エネルギーの破局的消費として見た戦争」で語られているように、蓄財(外貨準備/内部留保/使い道のない資産)は浪費しなければならない(そうしなければ、いずれ戦争が起きる)。

たとえ気づかれずともこの最終的結末にはなんの変りもない。それを識らずにすませ忘れ去ることもできるが、われわれの暮らしている大地はいずれにせよ様々な破壊の場にすぎないのだ。

G・バタイユ『呪われた部分』

しかしフォーディズム以降、浪費が蓄財の役に立つようになってしまった。生産性を基準にしては行動してはいけない。無駄があることこそが社会の豊かさではないだろうか。

すでに目前に迫りつつある戦争を避けたい望みを口にするのもよい。だがその目的のためには、産業の延びなやみを合理的に解消するかたちで、或いはどうにも蓄積しようのないエネルギーを蕩尽する、非生産的事業のかたちで、過剰生産を転用することが必要である。

G・バタイユ『呪われた部分』