リゾームには始まりも終点もない、いつも中間、もののあいだ、存在のあいだ、間奏曲なのだ。どこへ行くのか、どこから出発するのか、結局のところ何が言いたいのか、といった問いは無用である。〔千のプラトー 資本主義と分裂症〕